世界文学全集への挑戦、2年目に突入

40代既婚の男がふと思い立って世界文学全集に挑んでいます

楽しみの目的化

 『マリー・アントワネット』の記述は、ルイ16世から再びマリー・アントワネットが中心になります。
 考えることを好まず、楽しみを求めて常に動いており、落ち着きがなかったり、思慮に欠けていたりするようです。楽しみはもちろん役に立ちますが、それが目的になるとおかしくなるでしょう。
 夫であるルイ16世が夫婦間でリーダーシップを取っていればうまくいったのかもしれませんが、実際にはマリー・アントワネットに引きずられていたようです。
 2人の間はそれなりにうまくいっていたようですが、国王夫妻としては良い組み合わせではなさそうです。

王らしくない王

 『マリー・アントワネット』の記述は、しばらくの間、マリー・アントワネットの夫である、新たに王位に就いたルイ16世についてのものになります。
 ルイ16世は王らしくない人物だったようです。在位していた当時、存在感はあまりなかったように思われます。現代でも、ルイ16世自身というよりも、マリー・アントワネットの夫という位置づけで取り上げられることが多いのではないかと思います。
 そういう王らしくない王が王だという理由で民衆から敵視されるのは気の毒な気がします。

王の交代

 『マリー・アントワネット』の今日読んだ箇所では、マリー・アントワネットの夫の祖父である王が他界して、夫が王になります。
 この先代の王はキリスト教の信仰の面では教会から良く思われないような生き方をしていたようです。聖職者が、王の死の直前に死の恐怖を利用して信仰に対する態度を改めさせようとし、側室を去らせるように圧力をかける様子が描かれています。
 そうしていたのかもしれませんが、本来ならばもっと前から、教会として正しいと考えることを王がするように働きかけているべきだったと思います。

民衆に対する無関心

 『マリー・アントワネット』における、マリー・アントワネットとパリとの関係についての記述がさらに続き、パリという街の提供する歓楽に心を捕らえられている様子が描かれています。
 マリー・アントワネットは楽しみを求めてパリに通うようになりますが、その一方でそこにいる民衆に対しては関心を持っていなかったことが記されています。
 年の若さのためという面もあるでしょうが、王太子妃として民に心を向けられないところが筆者のいう凡人らしいところなのだろうと思います。

大歓迎

 マリー・アントワネットのパリ訪問が民衆に大歓迎された様子が、『マリー・アントワネット』の今日読んだ箇所で描かれていました。
 その記述でもほのめかされていますが、その後、パリの民衆との関係がどのように変わるかがわかっているだけに、その対比が際立つように思います。
 人の心は変わりやすい、ということを考えます。

パリ訪問

 『マリー・アントワネット』を読み進め、王の側室との対立の記述に一区切りついた次に、マリー・アントワネットヴェルサイユからパリを訪問しようとする記述に移ります。
 これまで知らなかったのですが、ヴェルサイユについて、パリまで歩いて6時間ほどだということが示されています。地位が高いとはいえ、その程度の移動も自分の一存ではできないというのは、とても窮屈な立場だと思います。

屈服

 『マリー・アントワネット』で描かれている、マリー・アントワネットと夫の祖父である王の側室との対立は、マリー・アントワネットが折れることによって決着がつきます。
 まだ17歳という若い時期の苦い経験は、心を頑なにし、その後の生き方に影響を与えているようです。事件自体は滑稽ともいえるようなできごとですが、その残したものは大きそうです。