今日読んだ箇所では、思索する中で善良になろうとして将来のことを空想している様子が描かれています。立派なことをしようと考えていながらも人間としての欲望が混ざってきているところが正直に述べられています。
その記述の後で、青年時代の空想が幼年時代や少年時代と同様に幼稚なものであることを責めないでほしい、といっていますが、責められる人はいないのではないでしょうか。かえって、自分とそれほど違わないことに安心します。異なっているのは、自分の空想の幼稚さを認め、そのような空想を表に出すところです。そうすることが難しい自分の心の問題が明らかにされたように思います。