戦争によって露わになるもの
前の記事では戦争によって奪われるものや与えられるものについて書きました。今回は戦争によって露わにされるものについて考えたいと思います。
『誰がために鐘は鳴る』を読みながら、日常とは異なる戦争という状況の中で、人の隠れた性質が外に現れるということが起きている、というように感じました。人によっては人々の先頭に立つになり、人によっては臆病になり、というようなことです。余裕があるときには、本来の姿と違うように装っていられたり、持っている力を発揮する機会がなかったり、といったところが、緊迫した事態の中で本当のものが出て来ざるを得なくなるのではないかと思います。
実際には、戦争のように命に関わるような大きなことでなくても、たとえば仕事の中ででも余裕を持っていられないような場面にいれば、多かれ少なかれそういうことはあるのでしょう。
いつかは露わになるのだから、本当の自分を鍛え、磨いておかなければならない、と思いました。
こんなことを考えたのですが、現代の日本のように内でも外でも戦争がない時期が70年も続くのは普通の状態でなく、人間にとっては戦争の中だったり近いところだったりで生活する方が平常なのだろうか、という問題にぶつかってもいます。こ引き続き考えていきたいと思います。