3年目の世界文学全集への挑戦

40代既婚の男がふと思い立って世界文学全集に挑んでいます

ヤリイカ

 『白鯨』の主人公たちが乗った捕鯨船は、大きなヤリイカと遭遇しました。
 その中で、伝説の巨獣であるクラーケンについて言及されていました。数十年前に遊んだロールプレイングゲームにクラーケンという敵が出てきたように思います。大きいイカの絵だったと思いますが、そういうところに根拠があったことを初めて知りました。

九天の高き

 『白鯨』を読み進め、鯨の絵に続いて鯨の彫刻について述べられている箇所を読みました。
 次に空の鯨座についての話が続きます。その「鯨」に駕し、九天の高きに舞い上がりたい、と記されているところから強い思いを感じました。それまでは鯨についての記述が続いていましたが、肉眼で見ることのできないところのことを知りたいという望みは、鯨への思いとは別に、とても強いものだったのだろうと考えます。

鯨の絵

 2巻に分かれている『白鯨』の下巻を読み始めました。
 主人公が見てきた鯨の絵について、正しく描かれているものがないと批評しています。死んで陸にいる鯨の姿は生きている鯨とは違うということで、捕鯨に出かけなければ鯨の本当の姿を知ることはできない、としています。
 実際、現在のように、泳いでいる鯨を撮影する技術がなければ、一般の人には鯨がどのような姿をしているかを知ることはできません。ほかの大部分の人が知らずにいる鯨のことを知っているという自負が、主人公がこの話全体を語っている動機なのかもしれません。

内乱

 『白鯨』の今日読んだ箇所では、主人公が乗っているのとは異なる捕鯨船でのできごとについて記されています。
 内乱のようなことが起きています。軍隊であれば、上官の命令に逆らえば命まで危ういのではないかと思いますが、民間の業務であるだけに、そこまではなさそうです。
 ですけれども、軍隊も捕鯨船も命懸けで取り組まなければならない危険なものであることは共通しており、軍隊でなく捕鯨船であっても、秩序の乱れは大きな問題であると思います。

リマでの会話

 文庫で上下2巻に分かれている『白鯨』の上巻が終わりに近づいてきました。
 上巻の最後の章を読んでいますが、この章は、主人公が聞いたほかの捕鯨船についての話を別の人たちに話しているという記述になっています。話をしているのはリマだそうで、スペイン人の友人たちが相手です。英語で話したのかスペイン語で話したのかは不明ですが、会話の形式で記述が進められていて、ほかの章との間の違いを感じます。
 著者の体験に基づいて書かれた作品であると認識していますが、リマでのこういった会話も実際にあったことなのか、それも興味深いと思います。

ガム(洋上交歓)

 『白鯨』の今日読んだ箇所では、捕鯨船の航海中のガム(gam)という習慣が紹介されていました。
 捕鯨船同士が洋上で互いに相手を近くに認めたときに交流を行うことを指しているようで、数年にわたる航海をしている者同士として、情報交換ができますし、同じ乗組員たちだけでの生活に変化をもたらしてもくれますので、当然のようにそうするのではないかと思います。
 あえて積極的にそれをしない場合が描かれていますが、そうなる理由があるからで、望ましい状態ではない気がします。

追いつけない存在

 『白鯨』の今日読んだ箇所では、汐を吹いているのを見つけて追いかけても追いつくことのできない鯨の存在が描かれています。
 それを見つけたと言う人物だけでなく、ほかの人たちも同じく見ているようですので、嘘でも勘違いでもなさそうですが、何回か現れてそのたびに追いかけても追いつけません。
 船長が復讐を望んでいる白鯨ではないかという可能性も示唆されていますが、そうかどうかはわかりません。
 不気味な感じがします。