一人前
今日読んだ箇所では、主人公が大学への進学を控えて、一人前になったかのように振る舞っている姿が描かれています。
見栄えの良い制服を仕立てたり、父親から馬車と馬と御者を使うことを許されたり、絵を買いに行ったり、パイプを買って喫煙を試してみたり、といったことが述べられています。馬車を使う許しを親からもらうのは、今の人が親に車を買ってもらうようなものでしょうか。
今の日本では大学に入った時点で一人前と評価はされないと思いますが、トルストイが大学に入った時代のロシアは大学への進学率がかなり低かったでしょうから、背景が相当異なります。
ここまで考えた上で、さらにこう思います。日本では大学に行くのはもはや珍しいことではありませんが、世界全体で見ればそれは少数派です。トルストイは貴族の家の生まれでスタートラインが当時のほかの多くの人と違ったのでしょうが、わたしたち現代の日本人の多くも世界の中ではほかの人たちと違うスタートラインから出発しています。そのような者として、与えられた機会を有意義に活用していきたいと思います。
一人前ということに戻ると、わたしたちはどの時点で一人前と自他ともに認めるようになるでしょうか。働いて収入を得るようになったときというようにも考えられますが、雇う側からしてみれば働き始めたばかりの人については給料などの負担の方がその働きから得るものよりも大きい場合が多いと思います。
自らどのような責任を取れるか、ということが基準として考えられるように思いますが、どのような責任を取れれば一人前でしょうか。
結論めいたものが持てていないことから、今日は問いかけによる締めくくりとしてしまいます。