中にいるが属していない
『南回帰線』の主人公は、米国の国民として、商品に需要があって忙しい会社の社員として、家族の中の夫や父として、そしてほかの共同体にも一員として存在しています。しかしながら、どこでもまわりの人と一体感を感じられていないようです。
中にいるけれども属していない、という感覚ではないかと思います。それはこのブログの主も、ある場については感じるものです。好ましい共同体に帰属することは安心感を与えてくれますが、必ずしもそういう共同体の中にいられるとは限りません。そのような場にいられることは幸いであると思います。