『フィガロの結婚』
『マリー・アントワネット』の中で、『フィガロの結婚』の上演を巡る攻防の様子が紹介されていました。
貴族を風刺する、当時の体制にとって不都合な芝居が王の反対にもかかわらず上演されたことは、王の権威が落ちてきていることを示すできごとだったようです。そこに王妃であるマリー・アントワネットが関わっているというのは皮肉でもあり愚かでもあるように思います。
『フィガロの結婚』は有名なので、このブログの主でも名前は知っていましたが、歴史上そういう役割を演じたことは初めて知りました。
中傷
『マリー・アントワネット』によると、マリー・アントワネットはただ人気を失っただけでなく、中傷の対象になります。
当時使われたのは印刷物で、悪口を書いたパンフレットが印刷されていたようです。
マリー・アントワネットはそのことを知りながらも気にしていなかった様子です。気に病まずにすんで良かったのか、気にして対処した方が良かったのかは良くわかりません。
ピークアウト
マリー・アントワネットの人気は王太子を出産した頃が頂点だったらしく、そこから落ちていく様子が『マリー・アントワネット』に描かれています。
筆者によると行いを改めるチャンスはあったようですが、そのチャンスをつかむには知恵も自制心も不十分だったようです。
出産
『マリー・アントワネット』の今日読んだ箇所では、状況大きく変わってマリー・アントワネットが出産をします。
特に男子が産まれたときの祝賀ムードは、その後しばらくして起こることを少しも予感させないような描かれ方です。
出産のとき、何十人もの人がそばにいたようで、それはたいへんなストレスになっただろうと思います。王妃として普通でない生き方をする代償でしょうか。
警告
『マリー・アントワネット』によると、兄からマリー・アントワネットに向けて書かれた文章が後の時代まで残っていたようです。
そこでは、口頭でよりもはっきりとマリー・アントワネットの行いが非難され、兄からの注意には厳しいものがあります。その中で、マリー・アントワネットが用意していなければ「革命は惨酷」(「残」ではなく「惨」となっています。)なものになるという警告がされています。兄がどのようなことを考えていたかはわかりませんが、その後に起こったことを言い当てていると言えます。
兄の助言
『マリー・アントワネット』で、兄であるオーストリアの皇帝がマリー・アントワネットを助けようとしていたことに関する記述を読みました。
助言をしようとするものの、強く言うことはしていないようです。直接ではなく手紙でだとはいえ強い調子で忠告をしている母の言葉によってでもそれほど変わっていないマリー・アントワネットにとっては、心と行いを改めさせるほどの力はなかった様子です。
こういったところは、結婚のお膳立てをした母と、そういう立場ではない兄との違いなのかもしれません。兄ではなく母が助言をしに行くことはできなかったのかと考えますが、そうしなかった事情があったのかもしれず、よくわかりません。
新しいタイプの君主
『マリー・アントワネット』で、オーストリアの皇帝であるマリー・アントワネットの兄について少し詳しく記されている箇所を読みました。
庶民と触れ合ったり、使うものを質素にしたり、といったことで、新しい君主の姿を示していたようです。
浪費や放縦な生活で庶民の反感を買ったマリー・アントワネットと対照的です。