3年目の世界文学全集への挑戦

40代既婚の男がふと思い立って世界文学全集に挑んでいます

テント村

 引き続き『怒りの葡萄』に描かれている、西へ移動する人たちの共同体についての記述を読みました。
 「テント村」とされているその場は、滞在し続けることが想定されていない場です。そのため、生産活動はなく、持っているものを消費するだけです。目的地に着けば仕事を見つけて収入を得られるのではないか、ということに望みを置いていながら、実際にどうなるかはわからない状態です。不安の中で人々が寄り添い合っている場、というようにとらえました。

新たな共同体

 『怒りの葡萄』の中で、西に向かって自動車で移動している人たちの共同体ができていく様子見読みました。
 困っている者同士で助け合おうという姿勢は、この作品の中で既に見られるものです。それが指導者を持ったり、ルールができたりと、さらに共同体らしくなっています。
 定住していないので、あったとしても公共の支援は届かないでしょうから、仲間同士の助け合いは心強いと思います。

「ボリシェヴィスキー」

 『怒りの葡萄』の今日読んだ箇所に、主人公が、資産があるが故に人からお金を搾り取ろうとする人物と衝突する場面がありました。
 その中で主人公は自分のことをボリシェヴィスキーだと言っています。注がついていて、ボリシェヴィキのことだとしていますが、資産がある人に少し楯突くだけで共産主義者だと言われるような風潮が当時の米国にあったことを示しているのかもしれません。

不安を感じさせる話

 『怒りの葡萄』の主人公たちはカリフォルニアに向かっていますが、その途中で、カリフォルニアから戻ってきたという人物から話を聞く場面を読みました。
 期待していたことと違う話を聞かされ、ショックを受けた様子です。実際に何が事実なのかはわかりませんが、不安を感じさせます。

自己憐憫

 『怒りの葡萄』の今日読んだ箇所では、主人公が、ある自己憐憫は陥っている人物を叱責します。
 実際に気の毒な状況はありますが、それが不利に働いているとしても、その他の手をつけられることについて努力していないことを指摘しています。
 自分にあるそういう面について考えさせられました。

家族が一緒にいること

 『怒りの葡萄』の今日読んだ箇所では、主人公と家族がある決断を迫られます。
 その中で、ほぼ全員が賛成した提案についてある人物が強硬に反対して、結論を覆します。家族が別々になって経済面では合理的と思われる道を取るという考え方よりも、家族が一緒にいればほかの問題は乗り越えられるという考え方が最終的には勝りました。
 男女間の傾向の違いが現れる場面だったように思います。

少しずつの思いやり

 『怒りの葡萄』の記述が再び主人公たちから離れ、別の人たちの言動が記されている場面を読みました。アメリカらしいダイナーでの場面です。
 ごく普通の、特に裕福なわけではない、そして特に善良そうなわけでもない人たちが、少しずつの思いやりを困窮している人たちに示しています。気持ちの良い話でした。
 とても技巧がこらされた作品であると感じます。