合名会社への吸収合併
『白鯨』の今日読んだ箇所でも、捕らえた鯨はまだ主人公の乗っている捕鯨船につながれていて、その鯨をめぐる乗組員たちの行動が描かれています。そして、その行動を通して考えたことを主人公が述べています。
鯨の背に乗っている仲間と一本の綱でつながれた主人公は、仲間が転落すれば自分も一緒に転落することを認識しており、それを生きているあらゆる者の境遇と同じであるとしています。自分の状態を、二人の合名会社に吸収合併されていると表現していますが、確かに、人はほかの人との関係の中で生活していて、自分でコントロールできることもあれば、そうできないこともあり、ほかの人に起きることのために大きな影響を受けることがあり得ます。
だれとつながるか、そして、どういう気持ちでつながるかが重要だと思います。
鯨が見てきたもの
『白鯨』の今日読んだ箇所に、ある登場人物が鯨の死骸に話しかける場面がありました。
海の底深くまで潜るので、人間には見ることのできない世界を鯨が見てきただろう、というようなことを言っています。たとえば、海難事故で命を失った人を海の底で見ただろう、といったことです。実際には人間の死体は浮かんでくると思いますが、鯨に対してそう言いたい気持ちはわかる気がします。
鯨の生き方に結びつけて、人間の限界やはかなさが示されているように感じました。
鯨の肉を食べることに関する意見
『白鯨』のある登場人物が鯨の肉を食べる場面に、鯨の肉を食べること一般についての記述が続いています。
米国でも捕鯨が行われていた、この作品の書かれた時代にも、人によっては鯨の肉を食べることを厭わしいと思っていたようです。その理由として、鯨の脂を使って灯している明かりのもとで鯨の肉を食べるのは野蛮である、という考え方が示されています。いずれか一方ならば野蛮でなくて、両方が一緒になると野蛮である、というのはよくわかりません。