抜け殻
『マリー・アントワネット』に描かれているマリー・アントワネットは、夫と死別し、息子との関係を絶たれてしまいました。
わずかばかりの女性の近親者たちだけとの生活を三十代後半で強いられることになります。食べていくことについての心配はないにしても、何を目指して生きていくことができたでしょうか。日々どのようなことを考えていたでしょうか。
肉体は生きていても、心が生き生きとしていることは難しかっただろうと考えます。抜け殻のような生活になってしまったと想像し、気の毒に思います。
理想と現実
『マリー・アントワネット』を読み進める中で、人間の美しいところと醜いところがマリー・アントワネットとの関係でよく表れているように思います。
昨日の記事で記したように本物の忠実さを示す人がいるかと思えば、人生の途中で手にした力をひどいしかたで使う人もいます。
今日読んだ箇所では、身体に害を加えないにしても、精神的にはたいへんなダメージを受けるような取扱いがマリー・アントワネットに対してされます。会議体で決めたようですので、複数の人がそれを肯定したということであると考えます。というよりも、複数だからそういう決定をすることができてしまったのかもしれません。
フランス革命は高い理想を掲げていたと思いますが、現実としては人間の醜さを露わにしてしまっています。
忠実な人たち
『マリー・アントワネット』の今日読んだ箇所に、この作品の中では初めて出てきたと思うのですが、マリー・アントワネットに近づくことは自らの益にはならないであろうにもかかわらず敢えて近づいていく人物が登場しました。こういう人が本物の味方であると思います。
ほかにも、共和派としてマリー・アントワネットを監視している中で味方になった人物も登場しました。
こうした人物たちに、忠実さを示す性質が備わっていたこともあるでしょうし、マリー・アントワネットにはそういう性質を人から引き出すものがあったのだと思います。平凡な人物として描かれていますが、それだけではなかったことも示されていると考えます。
ルイ16世の処刑
『マリー・アントワネット』の今日読んだ箇所で、ルイ16世が処刑されました。
住んでいた宮殿が襲撃され、幽閉の身になり、王権が剥奪され、最後には処刑されるところまで、あれよあれよという間に進んでいってしまいました。
生かしておくと共和制を覆す恐れがあるというのが処刑の理由だったようです。しかしながら、少なくともこの作品に描かれている、優柔不断な、武力での戦いに訴える気力もない人物には、共和制を覆す動機も力もなかったように思われます。
王の地位にいたという理由だけで処刑されるとは気の毒なことです。
ナポレオン
『マリー・アントワネット』に描かれているチュイルリー宮襲撃の場面を読みました。
ルイ16世とマリー・アントワネットの対照的な態度が印象的ですが、ナポレオンがこの事件の場にいたとされていることにも関心をひかれます。ただいただけではなく、そこでの戦いについて鋭い見方によって勝ち方を考えていたことが紹介されていて、その時点では何者でもなかったとはいえ非凡なものをすでに持っていたとされています。
「国民」や「国家主義」という概念
『マリー・アントワネット』の背景となっているフランス革命の時期の周辺国との関係では、国や国民というくくりよりも、共和制か君主制かが関心事であったようです。
「国民」や「国家主義」という概念はそれまでにはなく、フランス革命によってできた、というようなことが記されています。
ほかの人の意見を知らないので、どの程度正しいのかはわかりませんが、興味深い考え方だと思います。